三淵嘉子(みぶちよしこ)の夫・再婚相手は裁判官!子供は5人!最初の夫は書生

ドラマの実話モデル

朝ドラ、「虎に翼」がはじまりましたね。

虎に翼」って、どういうこと?と思いました。

強い力を持つ者に、さらに強い力が加わること

を言うのですね。

『鬼に金棒』、『弁慶に薙刀(なぎなた)』などの似た意味の言葉があります。

このドラマは、女性初の弁護士、裁判官になった、三淵嘉子さんの半生を描くようです。

大正初期に生まれた三淵嘉子さん。

太平洋戦争などに翻弄されたり、男尊女卑など、どんなきびしい人生だったのでしょう。

三淵嘉子(みぶちよしこ)の再婚相手は裁判官

三淵嘉子さんが最愛の夫、和田芳夫さんが亡くなって10年が経った時。

1956年(昭和31年)に再婚します。

お相手は、裁判官の、三淵乾太郎(けんたろう)さん。

お父さまは、初代の最高裁判官だった、三淵忠彦さん、と言う人なんです。

『虎に翼』では、あのイケメン俳優の、岡田将生さんが演じることになっていますね。

楽しみです。

42歳の三淵嘉子さん、13歳の長男を連れての再婚ですね。

乾太郎さんは、8歳年上で、この人も奥さんを亡くしていて再婚同士になります。

そして、4人の子供がいました。

再婚によって、5人の子供を持つことに。

最初の結婚時、子供も出来、育児にいっぱいいっぱい!

それに戦争もあって、弁護士としては、開店休業状態でした。

しかし、夫とは死別し、子供を抱えて生きていかなければ、と覚悟したことでしょう。

疎開先から川崎市へ。

裁判官の採用願いを提出したりして、志を高く持って仕事に取り組みます。

そして、1952年には、女性初の判事になるのです!

裁判官の家庭に生まれ育ち、今の東大の法学部を卒業して、司法省に入った乾太郎さん。

まだ男尊女卑が当たり前のような時代。

そんな時代に、まっすぐに立ち向かう三淵嘉子さん。

乾太郎さんには、フレッシュに見えたでしょうか。

それに、お互い連れ合いを亡くした者同士、惹かれるものがあったのでしょうか。

三淵嘉子(みぶちよしこ)の子どもは5人

三淵嘉子さんは、再婚して一気に5人の子供を持つことになります。

自身が産んだ子供が一人、そして、再婚時の夫の連れ子が4人(1男3女)。

芳武さんは当時13歳。

年齢的には微妙に、半分大人かな、という年ですね。

三淵嘉子さんの人生を、戦い続けた人生だった、と後に話しています。

初の女性判事、初の裁判所長への道を切り開いていく様を、ずっと側で見てきたのですから。

後に、東大の伝染病研究所の入って、生物学者として寄生虫研究者に。

三淵乾太郎さんの子供に、男の子が一人いたからなのでしょう。

芳武さんは、「和田芳武」と名乗っています。

乾太郎さんへの、そしてその長男への遠慮?、又は実父の姓に誇りを持っていた、とも言えるのかも知れません。

乾太郎さんのほうの子供たちは、再婚した当時は…。

那珂さん(すでに裁判官と結婚していた)・奈都さん(21歳、後に判事と結婚)・

麻都さん(18歳)・力さん(14歳)。

母親を亡くして1年後に再婚し、乾太郎さんは三淵嘉子さんにラブラブで、子供たちは少なからず、面白くなかったとか。

三淵嘉子さんは、子供さんたちに「猛女」と呼ばれていたようで(笑)。

結婚前の「エネ子」さんとも通じるものがありますね。

三淵嘉子さんは、いつ、どんな環境にいても、まっすぐで色んな意味で正直でいる人だったんでしょうね。

それは、新しい家庭も、居心地が良かった、ということでもあるのでしょう。

三淵嘉子(みぶちよしこ)の最初の夫は書生

三淵嘉子さんを朝ドラでは、伊藤沙莉さんが、演じていますが、最初からなかなかの評判です。

父親の、武藤貞雄さんは、台湾銀行に勤めるエリートなので、恵まれた環境に生まれ育ちました。

家には、和田芳夫さんと言う書生がいました。

書生、というのは、明治・大正の時代に、都会の大学などに通うために、他人の家に住んで勉学に励む人のことです。

都会に住む親戚などの家に世話になる人もいましたし、家賃などを払っている人もいたのですね。

この和田芳夫さんは、三淵嘉子さんの父親の中学時から仲良くしていた友人の親戚だった人です。

苦学の後、明治大学の夜間部を卒業して、父親の関係する会社に就職後も、この武藤家に住んでいたのです。

人物的には、どんな男性だったかというと、朝ドラで演じている、仲野太賀さん、そのものだったようです。

勤勉で、優しい人柄で、父からも母からも好かれていた、と。

口数が少なく、慎重だったので、気が弱そうにも見られていたのだとか。

でも、三淵嘉子さんは、ドラマでも描かれてますが、はっきりした性格。

そして、思い立ったら即行動、まわりまで巻き込んでしまう、というところも魅力ではあります。

学生時代は、『エネ子さん』と呼ばれていたそうです。

エネルギーがあふれている人、と言うことでしょうか。

同じような性格同士だとぶつかりあうこともしょっちゅうでしょうし。

案外いい組み合わせだったのでしょうね。

結婚は、1941年(昭和16年)、28歳のとき。

三淵嘉子(みぶちよしこ)、夫の和田芳夫との生活と別れ

長い間、同じ屋根の下に住んでいた二人。

親元の姓、武藤嘉子さんから「和田嘉子」として、池袋のアパートに住みます。

それから1ヶ月後には、太平洋戦争が始まるのです。

30歳近い男子も招集がかかるのですが、昔、肋膜炎を患ったことがある和田芳夫さんは免れていました。

後ろめたさを感じながらも、幸せな日々を送り、長男・芳武さんを昭和18年(1943年)1月に出産します。

戦争も日本の劣勢を感じつつ、きょう食べるものの心配をする毎日。

そんな中、夫婦二人と芳武ちゃんは、実家に帰り、親元でジジババたちと一緒に住むことに。

その豪邸も、防空法で取り壊されて、今までより、狭い住まいに移ります。

マスオさん状態のおとなしい、和田芳夫さん。

ちょっと心配になりますが…。

和田芳夫さん、2度目の召集も病気がわかって免除になります。

しかし、昭和20年の召集は不適格な男子も、何かの役に立つだろう、と出兵。

それから空襲にあって、三淵嘉子さんたちは福島県に疎開します。

非常に残念なことに、和田芳夫さんは、召集先の中国で発病します。

体が弱かったから、体力なんて持たなかったでしょう。

1946年に帰国しますが、長崎の病院で亡くなってしまうのです。

不自由なく暮らしていた生活から、一変!

愛する夫を離れたところで亡くしてしまうって、当時のどれだけの人たちがこの不条理に泣いたことでしょう。

 

三淵嘉子(みぶちよしこ)の生誕・死没・学歴・父親・家族

三淵嘉子さんの

生誕:1914年(大正3年)11月13日生まれ

死没:1984年(昭和59年)5月28日 (69歳)

出身:東京都

学歴:明治大学法学部卒

父親:武藤貞雄

台湾銀行に勤めるエリート。

婿養子。

ニューヨーク支店長・東京支店支配人を務めます。

『虎に翼』では、ワイロ事件で逮捕されましたが、実際にはこの人は逮捕されていません。

当時の帝人事件を参考に、作られたようですね。

ドラマでも描かれているように、女性も職を持つこと、自立することに前向きな人。

娘の良き理解者だったのですね。

母親:武藤ノブ

恵まれた環境に生まれ育ち、当時の時流の考えを持った女性。

ドラマのように、娘が弁護士を目指すことは、嫁のもらい手が無くなる、と大反対しました。

長弟:一郎

若くに出征し、妻子を残して亡くなります。

次弟:輝彦・・・日本煙火協会専務理事

三弟:晟造・・・医師

四弟:泰夫・・・林野庁職員

家族全員、優秀な人たちばかりですね。

さて、三淵嘉子さんの半生がわかった今、これからの「虎に翼」がどう描かれるのか、楽しみにしています!

 

 

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