小松暢の死因はガン、再婚だった美人妻はドキンちゃんのモデル!家族や兄弟は

ドラマの実話モデル

小松暢(こまつのぶ)さんとは、アンパンマンでおなじみの、やなせたかしさんの妻です。

2025年NHKの朝ドラ「あんぱん」で、小松暢さんとやなせたかしさんの半生が描かれます。

小松暢さんあっての、やなせたかしさんだったようですが、女優の今田美桜さんが演じています。

ドラマですから、必ずしも実際とは違う部分もあるでしょう。

こちらでは、編集者をしていた、小松暢さんについて知りたいことを探っていきます。


小松暢(やなせたかしの妻)の死因はガン?

やなせたかしさんは、2013年に93歳で心不全で亡くなっています。

いっぽう、妻の小松暢さんは、その20年も前の1993年にガンで亡くなっているのです。

1988年、「それいけ!アンパンマン」が始まりました。

この年に、小松暢さんに乳がんが見つかるのです。

ステージ4で、余命3ヶ月、肝臓にもびっしりと転移している、と言われます。

その時、漫画家・里中満智子さんが、やなせたかしさんに、丸山ワクチン(抗がん剤)の存在を教えます。

一日おきに打たないといけない丸山ワクチンを、やなせたかしさんは、暢さんにすすめました。

そうすると、血色が良くなり、体重も増えて、1991年の天皇・皇后両陛下主催の園遊会にも二人で出席できたのです。

ワクチンが暢さんと相性が良かったのでしょう。

余命3ヶ月の宣告から、5年もの月日を過ごしました。

回復を見せた小松暢さんでしたが、1993年に体調をくずし、抗がん剤治療の副作用で輸血が必要になります。

極度の貧血だったのです。

輸血をすると、一気に生気を取り戻しましたが、この輸血で突然、頭の中で血管が破裂してしまいます。

その際に、苦しみはなかったようですが、意識不明から心肺停止に…。

やなせたかしさんは、ずっと側に付き添っていました。

享年、75歳…。

(*岩波現代文庫 やなせたかし著「アンパンマンの遺書」から参照)


小松暢、やなせたかしとは再婚だった!年の差は?

朝ドラ「あんぱん」では、やなせたかしさんと暢さんは小学校から一緒の幼なじみのように描かれています。

しかし実際は、小松暢さんは、大阪出身で、女学校を卒業後は上京し、日本郵船勤務の、小松総一郎さんと出会って結婚します。

小松総一郎さんは高知県の出身。

暢さんより、6歳年上でした。

新婚だったのに、戦争で召集され、帰還しますが、その後病気で亡くなりました。

暢さんは、高知で終戦を迎えており、その後高知新聞社に入り、「月間高知」の編集者に。

そして、1年後に入社してきて、暢さんの後ろの席になったのが、やなせたかしさん。

やなせたかしさんは、出兵先の中国から帰って来て、高知新聞に入社していました。

年齢は、暢さんの方が1歳年上でした。

やなせたかしさんは、「ハチキンおのぶ」「韋駄天おのぶ」と呼ばれた快活な暢さんに一目ぼれ!

あるとき、東京へ編集者たちと取材に出かけ、ここで闇市のおでんでお腹をこわした3人。

暢さんだけは、食中毒の原因になったものを食べなかったので、看病をします。

ここでグッと二人の仲が近づくのでした。

そのうち、上昇志向の暢さんは、「代議士の秘書になる」と、上京します。

そして、その1年後にやなせたかしさんも追っかけるように上京し、結婚!

穏やかでやさしいやなせたかしさんのことを暢さんも好きになっていました。

でも、煮え切らない優柔不断なやなせたかしさんに対して、逆プロポーズした形になったそうですね。

小さい頃から描くことが好きだったやなせたかしさんは、漫画家を目指します。

そんな夫を応援し、暢さんは、稼げなかったら、私が食べさせる、と…!

前向きで元気いっぱいの暢さん、おだやかで心優しいやなせたかしさんはとてもいい相性だったのですね!


 

◆小松暢さんの夫・やなせたかしさんの記事はこちらから♪

 

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小松暢はかなりの美人でドキンちゃんのモデル!

小松暢さんは、残された写真のどれを見ても、かなりの美人さんですね!

こんなに美しくて色白で、一見か弱そうに見えていたのです。

しかし、実のところ、高知県の方言で、おてんばで男勝りの意味で「ハチキンお暢」と呼ばれていたのです。

雷が鳴れば、きゃー!と怖がるものですが、「もっと鳴れ!」と喜んだ暢さん。

そんな暢さんは、アンパンマンに登場するドキンちゃんのモデルだったのです。

いつも眼をキラキラさせて、好奇心でいっぱい!、天真爛漫な妖精のようなドキンちゃん。

「お腹がすいた~」が口ぐせですね。

やなせたかしさんは、ドキンちゃんを描く時に、愛する暢さんを重ねていたんですね。


小松暢の父親や兄弟は

小松暢さんのお父さんは、「あんぱん」では、商事会社に勤めていて、買い付けなどで、上海など各地を飛び回っていました。

そして、帰国する船の中で、心臓発作を起こして、船上で息を引き取りました。

まだ、暢さんが小学生頃のこと。

お父さんは若くに亡くなっています。

実際、小松暢さんのお父さんである、池田鴻志さん。

高知県安芸市で生まれ育ち、今の関西大学に進学しています。

そして、神戸にあった鈴木商店という、大きな総合商社の「鈴木商店釧路出張所」で敏腕をふるっていました。

池田鴻志さんは、釧路の発展に大きく貢献したと言います。

この時代に、関西大学の前身である関西法律学校に通えていたのは、実家の裕福さがうかがえますね。

暢さんのお父さんは、大正13年(1924年)に釧路で死亡した、との記録があります。

この時、暢さんは6~7歳の頃。

実際は、ドラマの暢ちゃんよりも小さい時に父を亡くしているのですね。

そして、ドラマ「あんぱん」では、暢さんは長女で妹が二人います。

実際にも妹がいたのか、というところは明らかな情報がありません。


小松暢の出身・高校・本名・子供

小松暢さんの

出身:大阪府大阪市

高校:旧制阿部野高等女学校(今の大阪府立阿倍野高校)

本名:出生から、小松総一郎さんと結婚するまでは、池田姓。

小松さんと結婚して、やなせたかしさんと結婚するまでは、小松姓を名乗っていました。

やなせたかしさんと結婚して、柳瀬暢、となりました。

子供:やなせたかしさんと暢さんには、子供さんはいません。

そのわけはわかっていませんが、お二人は、子供はアンパンマン、だと。

子どもさんがいない分、アンパンマンに全力を注ぎ、やなせたかしさんは、遺産は、アンパンマンミュージアム・アンパンマンスタジオに、と遺言を残しています。


 

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