老いも若きも子供も知っている、アンパンマンの作者、やなせたかしさんのお話しが2025年の朝ドラに!
わぁー!
色々知りたいです。
朝ドラでは、奥さんがヒロインで、今田美桜さんが務めることに決まりましたね。
そして、その夫、やなせたかしさん役は北村匠海さん、と発表がありました。
何とも良さげなカップルで早く見たくなります。
そのモデルとなった、やなせたかしさんの亡くなったわけ。
そして、妻・子供さん、弟さんのことをプロフィールも交えて、まとめてみました。
やなせたかしの本当の死因は?
やなせたかしさんは、2013年10月13日に、順天堂大学医学部付属順天堂病院で死去します。
満94歳を過ぎていました。
死因は、心不全、ということでした。
大往生されたのですね。
でも、ご本人は、この年の6月に、アニメ制作スタッフに、”まだ死にたくねーよ”と漏らしていたそうです。
人生に対する意欲というか、欲がまだまだいっぱいあったんですね。
とは言え、おおやけにしていなかった病があったようです。
それは、膀胱ガンで、亡くなる数年前から、闘病生活を送っていた、とのことです。
ただ、ご本人は、病で老いぼれたような姿は見せたくなかったので、病気のことは言うな、と。
アンパンマンのように元気いっぱい、オシャレな「オイドル」(老人のアイドル)でいたかったのです。
こういうところで突っ張る意欲を見せる人は、とても素晴らしい、と思います!
葬儀は、本人の意向で、近親者だけで済ませたようです。
でも、次の年のやなせたかしさんの誕生日(2月6日)に、「偲ぶ会」が開かれました。
「ありがとう!やなせたかし先生 95歳おめでとう!」
というタイトルで、新宿のイベントホールには、たくさんの親子連れが訪れたのです。
アンパンマンの声を担当している戸田恵子さんや、ちばてつやさん始め、絵本作家の人たち…。
たくさんの人たちに惜しまれながら、送られました。
墓地は、やなせたかしさんの生家跡の、「やなせたかし朴ノ木(ほうのき)公園」にあります。
やなせたかしの妻・小松暢(のぶ)との出会い、年の差・出身・死因は?
やなせたかしさんの奥さんは、小松暢(のぶ)さん。
高知市生まれの人です。
そして高知新聞社の『月間高知』の編集者で、女性の編集者は初の人。
1946年、高知新聞社に就職したやなせたかしさん。
暢(のぶ)さんのうしろの席でした。
ひとめぼれだった模様。
暢(のぶ)さんは、一つ年上の奥さんなんですね(1918年生まれ)。
昔は、”年上の女房は金のわらじをはいてでも探せ”と言ったものです。
暢(のぶ)さんは、聡明そうなきれいな女性です。
その後、小松暢さんは、ここを退社し上京するのです。
その理由は、「代議士の秘書になる」という動機です。
とても上昇志向があり、前向きで行動力もある女性ですね。
この時代には珍しがられたのではないでしょうか。
逃したくなかったのでしょう、後を追うように、やなせたかしさんも上京するのですね。
そして、色んな仕事をしながら漫画家としてやっていくやなせたかしを支え続けた暢さん。
結婚は、1947年(昭和22年)。
一緒になってからも、漫画以外はぜーんぶ奥さんにお任せだったようですね。
やなせたかしさんの散髪も奥さん、病気をすると、全力で看病する奥さん!
やなせたかしさんは、”おぶちゃん”と家では呼んでいたそうです。
1988年、「それいけ!アンパンマン」の放映が始まった年。
奥さんの乳がんが見つかるのです。
かなり病が進んでいたのでしょう、余命3ヶ月と言われます。
しかし、手術や丸山ワクチンなどの治療でかなり回復しました。
そこから6年、一緒に過ごしましたが、1993年に体調が悪化します。
そうして、11月には、亡くなります。
やなせたかしさんの手を握ったままで…。
やなせたかしには子供はいない、アンパンマンが息子!遺産はどうなる?
やなせたかしさんと、暢さんには、子供はいません。
その理由は明らかではありません。
しかしながら、やなせたかしさんはいつでも、
アンパンマンが自分の子供
と言っていました。
色んな思いや愛を、子供がいない分、アンパンマンに注いだのでしょうね。
1993年に暢さん、2013年にやなせたかしさんが亡くなりましたが、残された遺産は?
未だに、おぎゃーと生まれて育っていく赤ちゃんたちは、必ずアンパンマンもののおもちゃやお話しのお世話になりますね。
アンパンマンの顔を見るだけで、いいお顔になる、赤ちゃんや幼児たち。
なので、400億、と言われる遺産…‼
この遺産のゆくえは…?
ふつう、相続する親族がまったくいない場合は、国庫に行くことになるそうです。
でも、やなせたかしさんは、遺言をちゃんと残していました。
アンパンマンミュージアム・アンパンマンスタジオに、相続がいく、ということになります。
そして、
「子供のための良心的な芸術活動に対し2年に1度賞を贈る」
ということも、遺言に残しています。
そこで、アンパンマンミュージアムが”やなせたかし文化賞”というのを、創設しているのです。
未来の子供たちのために、ということですね。
つまり、アンパンマンが相続人、ということになりますね。
ちゃんと考えていた、やなせたかしさんです。
やなせたかしの弟は戦死?子供は?アンパンマンマーチと弟
22歳の頃、日本も戦争に巻き込まれ、赤紙(戦争への召集令状)が届きます。
兄のやなせたかしさんは、学校での成績が良く、現在の千葉大学へ進学したこともあるからでしょうか。
幹部候補生を志願し、暗号解読、という部署に配属になって、直接戦場には向かいませんでした。
やなせたかしさんには、弟が一人ます。
千尋(ちひろ)さんと言います。
2歳下です。
その千尋さんは、何と特攻隊を志願したと聞いていました。
しかし、実のところは、予備海軍少尉として、駆逐艦に乗って敵地に向かう途中に撃沈されます。
そして、フィリピン沖で死去しました。
特攻隊として出陣した、とされているのは、やなせたかしさんの思い込みだったようなんですね。
愛する弟の動向を聞いているうちに、情報を聞き、そう思ってしまったのですね。
詩集「おとうとものがたり」に、やなせたかしさんは、千尋さんとの関わりや思いを込めています。
とってもやさしい関係性を詩に表しています。
「アンパンマンマーチ」が弟さんへの歌か?、と言われているのですが。
でも、やなせたかしさん本人がそのように発言したのではないようですね。
戦後生み出した、「手のひらを太陽に」や、「アンパンマンマーチ」…。
この詩はまさしく生きる喜びを描いていますね。
亡くなった弟さんだけではなく、命を落とした尊い命、すべての命のことを思って湧き出た詩なんだと思うのです。
弟さんには子供さんはいなかったようです。
やなせたかしの本名・誕生日・出身・身長・学歴・両親・性格・墓地
やなせたかしさんの
本名:柳瀬 嵩(やなせたかし)
誕生日:1919年(大正8年)2月6日生まれ 死没は、2013年10月13日
出身:出生地は、東京都北区滝野川。
生まれ育ちは、高知県南国市(長岡郡後免町)。
身長:170㎝
学歴:高知県立高知追手前高校、千葉大学 西千葉キャンパス
父親:朝日新聞社会部の新聞記者でした。
テニス、水泳が得意で体格も良かった人。
やさしく、いつも何か帰ってくるとおみやげを持って帰ってくれました。
物語や絵・詩をこよなく愛した父で、本の出版もしたことがあります。
そんな父親の影響を受けているのでしょう。
しかし、父は32歳で病気が原因で亡くなります。
やなせたかしさん5歳の時です。
母親:華やかで、社交的、人の中心にいる人でした。
父親を亡くしてからは、自宅で華道、茶道の教室をするように。
しつけはけっこう厳しい人。
また、本を読んで、とせがむと、あいうえお表を作って、これを元に読みなさい、と。
おんぶしてもらった時の香水の匂いを覚えている、と言っています。
けっこうおしゃれなお母さんだったようですね。
しかし、お母さんは再婚して、弟さんの養子先の叔父夫妻の所に引き取られます。
性格:前向き、優しい。
戦争を体験して、”正義”について、人一倍考えた人のように思います。
やなせたかしさんの言う本当の正義とは、
「本当の正義とは、おなかのすいている人に自分の食べ物を分けてあげることだ。」
とてもとても深い言葉です。
墓地:やなせたかし朴ノ木公園(高知県香美市香北町朴ノ木)
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