野間口徹さんと言えば、無二の色を放つ俳優さんですね。
しかし、「VRおじさんの初恋」で、主役に抜擢されました!
また、朝ドラにも、6つに出演していますね。
野間口徹さんは、もう50際代に突入。
でもそうは見えませんね。
最愛の奥さんとも今も円満のようです。
そんな、プロフィール的なところを調べてみました。
野間口徹の自宅は調布?
野間口徹さんは、調布のパルコで家族でショッピングを楽しんでいるところを見られています。
又、Xで、天神通り商店街ですれ違った、調布に住んでるのかな、という投稿があったり。
調布の百貨店で、という情報も。
調布で見かけた情報が多いのです。
そういうわけで、自宅は調布市だね、というのがもっぱらの噂です。
野間口徹さん本人は、あえてそんな情報は流さないでしょう。
子供さん、奥さんのプライバシーを守りたいですものね。
野間口徹の実家情報、プロフィール
野間口徹さんの
本名:野間口徹
「野間口」は割と珍しい名字で、全国で1700人くらいなんです。
実家:父…中学校教師
母…保育園の園長
1歳上の姉…徳島大学大学院医歯薬学研究部の教授
野間口徹さんも、国立大学へ進学するくらいの人ですが、姉は秀才で、よく比較されるのが辛かったとか…。
親戚にも、教職の人が多いようで、自分もその道に進むのかな、と思っていたそうです。
いい感じの品格を感じるのは、育った家庭の影響なのでしょうか。
年齢:1973年(昭和48年)10月11日生まれ 51歳
出身:福岡県北九州市
身長:172㎝
血液型:AB型
野間口徹、千鶴(妻)は元舞台俳優、馴れそめは?
野間口徹さんの妻は、舞台女優さんでした。
出会いは、舞台周辺でしょうね。
奥さんには、当時彼氏がいたのですって。
奥さんに
彼氏と別れたらうちに来てください
と言った野間口徹さん。
これも愛の告白ですよね。
奪いたい、ではない、待つ姿勢の告白。
奥さんは、その後彼氏とはお別れして、二人の交際が始まるのです。
そうはいっても、まだ下積みで食べて行くにもカツカツの野間口徹さん。
俳優以外に、タクシー会社で、アルバイトをしていました。
それでないと生活が出来ないほどだったのです。
30歳まで、メディア関係の仕事が入って来なかったら、この仕事をやめよう、と考えていました。
しかし、29歳のときに、CMの仕事が入って来るように。
そうして、34歳、2007年に「SP警視庁警備部警護課第四係」に出演。
この時の、公安の監視役が、ストーカーじみていて、鬼気迫るものがあり…。
このドラマで、一躍知名度が上がります!
その1年後に、奥さんから、もうアルバイトはしなくても大丈夫、と宣言されます。
奥さんは、ちゃんと家計管理をしてくれていたのですね。
野間口徹、千鶴との結婚
生計を立てられるようになるのに、何と、当たってから3年はかかった、とのこと。
野間口徹さん、結婚したのは33歳。
2006年です。
自分達が結婚できるなんて、嘘のようだ、としみじみ感じた野間口徹さん。
どうせなら、エイプリルフールに入籍しよう、と、結婚記念日は4月1日なのです。
また、好きなタイプの女性を聞かれた時のこと。
その返答は、
「妻です(笑)」
面白くてかわいくて、ちっちゃい人。
格好つけずに、こう語れる人は本当にすてきです‼
2017年に、表参道のギャラリーにて。
さこももみさん(絵本作家)の朗読会「あるジャム屋の話」が開催されました。
「野間口徹&千鶴夫妻による朗読会」と名付けられ、写真入りで紹介されています。
これによると、千鶴さんの姿があります。
千鶴さんも、メガネをかけていますね。
そして、小柄のように見えます。
かわいくて、笑顔のすてきな人。
野間口徹さんの言っていた好きなタイプの人!
奥さん曰く、家族思いで、家事もよく手伝ってくれる、と。
いいパパ、いい夫ですね。
野間口徹の出身大学は、信州大
野間口徹は、福岡県立北筑高校を卒業後、国立の信州大学に。
学部は、農学部です。
信州大学を選んだ動機としては…。
まずは、楽に受験をしたい、と言うのが基本にあったようで。
センター試験だけで入れるところをさがしていたのです。
インタビュー時には、先ず、「失礼な話ですが…」との前置きがありました(笑)
長野をあえて選んだ、というより、親元から結構離れたところ、というのが大きな理由のようでした。
簡単に帰れないように、という心構えが欲しかったのでしょうか。
同じ遠くだったら、東京まで行っても、と思ってしまいますが、そこまでは度胸がなかったんですって。
信州なら、ちょっと行けば、スキーが出来る、と言うのも魅力だったりして…。
そして、動物が好きだったことが、農学部を選んだ理由です。
ただ、1年留年をしています。
それは、履修届をうっかり出し忘れていたのです。
お金を出している親にとっては、迷惑な話ですが(笑)
最初は松本にいましたが、3年生になって、伊那の方へ行きます。
冬は本当に寒いけれど、自然の美しい、いい所です!
野間口徹、信州大で、演劇に目覚める
野間口徹さんは、実家にいる頃は、映画や、テレビもあまり見せてもらえなかったそうなんです。
だからか、親元を離れたら、映画や演劇をよく見に行ったのです。
松本市は、演劇の街だった、と言います。
あがたの森演劇フェスティバル、と言うのがあって、地方の演劇祭の先駆けだったのです。
それもあってか、大学の各学部に演劇部があり、色々と見て回った、と言っています。
3年生になって伊那に行ったら、そこには、「農業文化開発公社」という名前の劇団がありました。
変わった人が多かったそうで、どんな趣向の芝居をやりたいか、と言うのが、皆バラバラだったのです。
まとめる人は、文句いっぱい言われたりして、たいへんだったでしょうけど、文句言いつつ、ちゃんとやる人たちだった、と。
こんな中でもまれながら、演劇の面白さを体感して、今の野間口徹さんがあるのでしょうね。
まつもと市民芸術館の舞台には、卒業してからも、何度か立っていますが、「戻ってきた」という感覚なのだそうです。
そして、年を取って隠居するなら、ニュージーランドか、伊那に住みたい、と言う野間口徹さん。
空気がきれいで、水がきれいで、家では野菜を育てて、仕事の声がかかった時だけ、東京に行く、というのが理想だと。
あぁ、この気持ちはよくわかりますね。
都会は、たまに出て行くのがいいなー、と思っています。
ただ、子供さんたちは、あんまり乗らない顔をするそうです。
そりゃあ、若いうちは、都会が魅力的ですものね。
野間口徹の子どもは2男1女!
野間口徹さんには、3人の子どもさんがいます。
心優(しゅう)長男…(2008年生まれ)15歳
心陽(こはる)長女…(2010年生まれ)12歳
心平(しんぺい)次男…(2012年生まれ)10歳
たたずまいが、パパによく似ている心優くんは、テレビの『アサタビ』という番組でパパと共演。
心陽ちゃんは、LINEを使って、よくおこずかいをねだるそうです。
paypayに送金するだけなので、心陽ちゃんは、そっけなくさびしい気持ちのようです。
次男の心平くんが10歳の誕生日にはXで、
2度のピンチを乗り越え、10年よく生きてくれた。
健康であれば、それでいいね。
と語っています。
ピンチ…病気かなんかで心配したことがあるのでしょうか。
仕事が終わると、一目散に家に帰って、一緒に遊んだり楽しむのが生きがいのベストイクメン!
野間口徹、メガネなしで「どうする家康」では違う印象
野間口徹さんは、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」に、登場し、鵜殿長照という役を演じました。
私は、野間口徹さんだとは、最初わかりませんでした。
何か、知らないようで見たことがあるけど…。
えぇ‼野間口徹さんなんだ!と思いました。
何だか、全然印象が変わりましたよね。
それに、私たち視聴者だけでなく、松茂豊さんさえも、野間口徹さんだと気づかなかったそうで。
やっぱり、野間口徹さんのトレードマークは、メガネと、あのヘアスタイルですから。
武将の役は初めてだったらしいのですが、野間口徹さんだったの?と何度も見返して見た人が多いそうです。
そうやって見てもらえたことがうれしい、と語ります。
下積み時代に、確かな演技を積み重ねてきたことが、今実を結んでいるのだ、と思います。
これからも、もっと飛躍してくれる役者さんだと、期待しています‼
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